群馬から世界へ~  国際ビジネスマンの先駆け 新井領一郎

先日、富岡製糸場が世界遺産として認定され、県民が沸いたのは記憶に新しいが、 富岡に限らず、前橋、伊勢崎、桐生など、上州といえば、 歴史的に生糸生産が盛んな土地柄であり、 生糸に纏わるエピソードも数多い。 生糸は、開港後の幕末・明治初期の日本の外貨を稼ぐ重要な輸出品として、 養蚕業、製糸業は明治の日本を支える基幹産業であったが、 当時、日本製の生糸は粗悪と海外では評判だったのと、 不平等条約下の生糸貿易で、外商や生糸仲介商に不利な条件での取引を飲まされ、 生糸生産者は不利益を被っていた。 この状況を打破し、日本製の生糸の品質の向上と、生糸生産者の利益を向上すべく、 単身ニューヨークに渡って、日本初の生糸直輸出に成功させ、Made in Japan=高品質として、 世界に広めた人物が群馬出身だったことをご存知だろうか。 その男の名前は、新井領一郎。 1855年、領一郎は勢多郡水沼村(現桐生市黒保根村)で星野彌平の子として生まれた。 兄は水沼製糸所設立者で元帝国議会衆議院議員の星野長太郎。 1866年、生糸問屋を営む新井系作の養子になる。 (ちなみに私の曾祖母は領一郎が養子に入った新井一族の出身である。 曾祖母の話によると、新井一族は相当な資産家だったらしく、 札束が積まれた部屋が何室かあったらしい。 新井一族からは、他に元帝国議会衆議院議員の新井毫も輩出している) 1874年、開成学校(現東京大学)、 1875年、東京商法講習所(現一橋大学)で学んだ後、 1876年、生糸の市場開拓と日本からの直輸出を実現するため単身渡米。 外国人居留地外商を経由せずに日本人として初めて生糸の直輸出を成功・実現させた。 また、長い間、アメリカの生糸市場の開拓・拡大に携わり、日米貿易の先駆者の一人となり、 民間人として初めて日米間の相互理解や信頼向上、交流促進に取り組み、 明治期に日米友好関係の構築に尽力し、 アメリカにおける初期在住日本人の社会的地位向上に寄与した。 領一郎が単身ニューヨークへ渡米するにあたり、 政府からの援助を取り付けた人物が、群馬県令の楫取素彦であった。 ちなみに 2015年放映予定のNHK大河ドラマ『花燃ゆ』の 主演:井上真央演じる主人公杉文の再婚相手がこの楫取で、 配役は大沢たかおであることが先日発表された。 渡米前に、楫取に挨拶に来た領一郎に対して、当時の楫取の妻寿子は、 「これは、兄、吉田松陰の形見です。この品には、兄の魂がこめられています。 その魂は、兄の夢であった太平洋を渡ることによってのみ安らかに眠ることが出来るのです。」 と吉田松陰の形見の短刀を渡した。 吉田松陰といえば、言わずとも知れた長州藩の精神的指導者で明治維新の立役者である。 その吉田松陰の形見の短刀を、その妹の寿子から贈られた衝撃は大きく、 渡米前の領一郎にとって、測り知れない勇気を与えられたことだろう。 その短刀は現在カリフォルニア在住の領一郎の子孫に受け継がれている。 また、渡米の際の領一郎への餞別覚に、 福沢諭吉、速水堅曹、黒田清隆、楫取素彦らの名前があることから、 この渡米に対する当時の各方面からの期待の大きさと 生糸の直輸出の成功が国を挙げての悲願だったことがうかがえる。 そして、領一郎の功績としてもう一つ挙げられるのが、日本にゴルフを普及したことだ。 領一郎が初めてゴルフをプレーしたのは、 1899年、ニュージャージー州ノースフィールド・リンク(現・アトランティック・シティ・カントリー・クラブ)で、 Kellys Golf History内でも、日本人初のゴルフプレーヤーとして、 Samuri Golf – Ryosuke Aria 1st Oriental Golferと紹介されている。 ゴルフの魅力に取り付かれた領一郎は、 ニューヨークに訪れる日本人に対してゴルフの良さを盛んに説いた。 日銀ニューヨーク支店在勤中に、領一郎にゴルフを教えられ、 すっかりゴルフにはまった井上準之助(第9、11代目日銀総裁)は、 領一郎の進言のもと、日本に帰国後、樺山愛輔(白洲次郎の妻正子の父)らと、 日本で初めての日本人の手によるゴルフ倶楽部『東京ゴルフ倶楽部』の創設に尽力した。 また、昭和天皇の皇太子時代に、人を介してゴルフを勧めるなど、 領一郎が日本へのゴルフ普及に与えた功績は多大である。 領一郎は牛場卓蔵(山陽鉄道創始者)の娘田鶴子と結婚し、 米男と美代子という2人の子供に恵まれた。 米男は旧藩主で司法大臣・東京府知事を務めた岡部長職子爵の娘盈と結婚。 美代子は薩摩藩出身の松方正義(第4・6代内閣総理大臣)の息子正熊と結婚。 孫に駐日アメリカ大使を勤めたライシャワー夫人の松方春子、 東京都港区西麻布にある西町インターナショナルスクールを創設した松方種子がいる。 交友関係もそうだが、子孫の系譜にも、 当時の政官財の要人達との煌びやかな結びつきが見られることから、 領一郎が日本の経済界の重要人物だったことがうかがえる。 そんな華々しい活躍をした領一郎の軌跡を辿りに、 彼の出身地である桐生市黒保根町下田沢鹿角に足を運んだ。 水源の村らしく、湧水が湧き出ているところがあり、 養蚕農家の大きな家屋が点在している。 霧に包まれ山の風景が美しく情緒溢れた集落である。 領一郎の兄の星野長太郎の葬儀の際には、 松方正義公爵がこの黒保根の集落まで参列のために来られたとのことだ。 生家の新井家は、現在、前述の西町インターナショナルスクールの 夏季キャンプ場として利用されている。 ライシャワー夫人の松方春子が戦時中疎開していた蔵も残っている。 住居は最近改修されたらしく、改修工事の模様が地元新聞に記事として取り上げられていた。 西町インターナショナルスクール卒業生の タレント関根麻里や藤島ジュリー景子(ジャニーズ事務所副社長)も このキャンプ場を利用したのであろうか。 領一郎の世界を駆け巡る活躍ぶりとは対照的にひっそりと静まりかえった集落ではあるが、 明治の要人達やアメリカとの繋がりも感じられ夢と浪漫が漂う集落である。 コロンビアスポーツウェア コメラリア ドミンゴ FRED PERRY ノースフェイス アウター パーリッシィ the north face リュック アビレックス schott ライダース