夏木マリ

夏木 マリ(なつき マリ、1952年5月2日[2] - )は、日本の女優[注釈 1]、歌手。本名は斉藤 淳子(さいとう じゅんこ)[要出典]、旧芸名及び旧姓は中島 淳子(なかじま じゅんこ)[1]。 来歴[編集] 東京都豊島区生まれで、小学校3年から中学校3年まで埼玉県さいたま市大宮区(旧・大宮市)で育つ[3][4]。さいたま市立三橋小学校・さいたま市立三橋中学校を経て豊島岡女子学園高等学校卒業[要出典]。 高校時代はジュンコと言えば池袋で有名なスケバンだった。コーラスを歌っているところをスカウトされた。GSのザ・タックスマンの追っかけをしていた[要出典]。 1971年、19歳の時に本名の中島淳子名義で「小さな恋」にて歌手デビュー[1]。ジャニス・ジョプリンのような曲を歌いたかったが希望は受け入れられず、清純派アイドルとしてデビューした[1]。しかしあまり注目されず、キャバレー回りの日々が続く不遇の時代を過ごす[1]。 1973年に現在の夏木マリ名義で「絹の靴下」を発表[1]。6月に再デビューすることが決まっていたことから、芸名が「夏に向けて決めよう」→「夏決まり」→「ナツキマリ」となった[要出典]。妖艶な振り付けやフィンガー・アクションが盛り込まれた同曲は大ヒットした[2][1]。その後各局の歌番組に続けて出演するなど多忙な日々を過ごすが、低色素性貧血で3か月の入院を余儀なくされ、復帰した時には仕事が激減し、再びキャバレー回りの生活に逆戻りしてしまう[1]。 ヌードダンサーが踊るレビューショー小屋での仕事中、演劇を仕事としている観客に舞台出演に誘われ、舞台の仕事を始める[5]。1990年に単身ニューヨークへ行き、自分も何かを発信してみたいと思うようになる[5]。そして1993年、企画から構成、演出、出演まで全てを手がける舞台表現『印象派』を発表。以降、2009年までに80以上のステージを重ね、国内はもとよりドイツ、フランス、イギリス、ポーランドでも公演を行い、高い評価を得ている[6][7]。 1995年、小西康陽からのアプローチを受けミニアルバム『九月のマリ-』を発表[6]。 2001年、『千と千尋の神隠し』において老魔女「湯婆婆」の声優を務め話題となった。 2004年、サッカーワールドカップ杯予選での国歌独唱は多くの観衆を魅了した[要出典]。 2006年、ブルースバンド『GIBIER du MARIE』を結成[5]。アルバムのプロモーションビデオの監督も務める。 2007年、パーカッショニストの斎藤ノヴと交際中であると発表し、夏木はこれを「フランス婚」と表現し、籍にこだわらないことを明かしている。[8] 2008年12月8日、斎藤と共に『Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2008』に出演し、手紙の朗読と「ジョン・シンクレア」と「ラヴ」を歌った。 2009年、パフォーマンス集団『MNT(マリナツキテロワール)』を立ち上げる。 2010年、支援活動『One of Love』プロジェクトをスタート。バラと音楽のこのプロジェクトは、その収益を途上国の働く女性と子供たちに支援している。毎年6月21日(世界音楽の日)に開催されるGIGには様々なアーテイストも参加している。[9] 2011年5月に斎藤と入籍していたことを26日に発表。 うどん店「つるとんたん」のプロデュースを行っている[10]とよく誤解されるが、これについて本人は、東京のお店の経営者と知り合いだったため、オープンする時にBGMなど手伝ったたけで「私のお店じゃない」ときっぱり否定している[11]。 開発途上国の子どもたちを支援する国際NGOワールド・ビジョン・ジャパン[1]を通して、チャイルド・スポンサー[2]になるなど、国際貢献活動も行っている。 2015年、キャリア44年目、62歳で初めての全国ライブハウスツアー「夏木マリ MAGICAL MEETING TOUR Live & Talk 2015」を敢行する[12]。 なお現在、芸能事務所には所属しておらず本人がスケジュールを調整している コロンビアスポーツウェア コメラリア ドミンゴ FRED PERRY ノースフェイス アウター パーリッシィ the north face リュック アビレックス schott ライダース